10月14日(火) 20日ぶりの水泳、事務作業
朝一で市役所へ行き、終日たまっていた事務作業の処理です。
水泳1500m、今年63回目で総距離122000m。
20日ぶりの水泳、休憩2度を挟みやっとやっとでした。
北岳はじめ、この間3回の山行(阿知ケ谷アルプスを除く)を重ね運動不足ではないはずですが、水泳は別物らしい。
10月12日(日) 公明党政権離脱、離脱した理由を問う報道こそ、訪問対話活動など
新聞赤旗が主催する囲碁将棋大会で挨拶させていただきました。
公明党が連立を離脱したのは裏金問題に対する自民党の対応です。
2年前、赤旗日曜版が報じても他のメディアは何の反応もなかった。共産党が国会で質問しても同様でした。大きく報じられたのは、赤旗報道を受け神戸学院大学の上脇教授が告訴したことに対し、東京地検が家宅捜索を行ったからです。
赤旗が報じなければ、裏金は裏金のままでした。
国民の怒りは政治と金です。
しかし、今の報道の多くは、自民党がどこと連立を組むか、どの党が首相指名選挙にだれを選ぶか、と相も変わらず政局ばかり。
公明党をヒーローのように扱う報道も見られるが、裏金の原資となる企業献金の受け皿を政党支部に変えるだけで、パーティも企業献金も温存するというのが公明党の態度であり、裏金議員を推薦してきたのも公明党の態度であり、それを問う訳でもない。
国民の多くが願う企業団体献金、パーティ禁止を一貫して問うているのが赤旗です。と紹介させていただきました。
その後は、訪問対話活動です。10軒の方と対話できました。共産党、応援している、との激励を頂きました。
午後は、秋祭りでした。
10月11日(土) 訪問対話活動
今日は党員の方とご近所に訪問対話活動に伺いました。13軒の方と対話することが出来ました。
ご近所や市政の事で何か要望があればと返信用封筒(切手不要)と一緒に簡単なアンケート用紙をお配りしながらの訪問です。
写真のカーブミラー。
ミラーは道路に立っているのですが、隣接している民家がほとんど空き家になっていて、草が茂って道路にはみ出している状況。
繁茂のためミラーが見えない。(左側のミラー)
この道路は幼稚園や小学校に面していて子どもも多く通る。警察に行っても埒があかなかった。何とかならないか?との声です。
早速、週明けに担当課等へ要請していきます。
午後は党の会議でした。
10月10日(金) 北口駅頭宣伝など
今日は7時から北口で駅頭宣伝なのですが、痛恨のミスを。
宣伝時は毎回ビラを作っているのですが、出かける前に車の中のゴミを整理してゴミ出しをしました。
駅について、さあと準備すると。ビラがない。どんなに探してもない。
どうもゴミ出しの際に印刷したビラまで一緒に捨ててしまったみたい??
ビラまきで来てくれた同行党員の2名の方には申し訳ないのですが、旗持ちと挨拶をしていただいて、マイクで訴えました。
その後は、断続的に党の会議でした。
※ポケットのふくらみはタバコではなくスマホです。
タバコをやめて30年くらいになるかなあ?
禁酒は、なかなか。・・ですが・
10月6日(月)~7日(火) 天空の早朝の稜線歩き、北岳(3192m)~間ノ岳(3190m)
人生初の3000m越えは、ずっと前から北岳と決めていました。
何度も実行しようとしましたが、日程が取れなかったり、天候が悪かったりで延び延びになってしまいました。
この日のために、トレーニングも準備も重ね、念願が果たせました。
無事に帰れたのはなによりですが、体力的には限界が近かったです。
3000mを越えてからはずっと頭痛の高山病持だとも判り、わが身を重んじるのであればこれ以上のレベルは控えるべき事も悟りました。ソロで登る限り。
コースは、広河原から草滑りで肩の小屋~北岳~北岳山荘で一泊。翌朝、間ノ岳まで往復し、八本歯のコル経由で広河原へ戻る山小屋1泊の行程です。
コース上には、白根御池小屋、北岳肩の小屋、北岳山荘と3つ山小屋があり、夏のシーズンは大混雑するようです。
北岳山荘はネット予約が出来、残席表示もされます。直前の予約状況は、収容80名に対し残席66。やっぱり気兼ねなく寝たいですね。
また、リニアは北岳と間ノ岳の真下を掘る計画です。大井川の源流部は悪沢岳ですが、どんな実体かを知るためにも、今回のコースを決定した理由でもあります。
芦安駐車場から広河原まで乗り合いタクシー1700円。北岳山荘は1泊2食で13000円もするし、高速代、水購入代など考えれば今回の山行の運営費は3万を超えます。でも、この日のために倹約も訓練も心掛けてきたつもりです。
下山後の温泉もチラと脳裏をかすめましたが、横浜の母親に会いに行く約束もあるので却下です。
広河原を6時に出発し、まずは白根御池小屋を目指します。
シーズンオフの平日でも乗り合いバスには2台で20人くらいいましたが、登山開始はソロリソロリをモットーに全ての同行者に抜かれしんがりスタート。
白根御池小屋までは樹林帯で600m登る3時間コースですが、一回の休憩で到着します。
小屋利用者以外にも開放している飲料水があります。宿泊した北岳山荘は水洗トイレだったし、豊富な水があるのでしょう。改めてリニアに怒りを覚えます。
ここから草すべりの直登です。気合を入れなおして進みます。
ぐんぐん高度を上げるにつれて、鳳凰三山が見えてきます。今日の天気予報は、曇りですが、山の天気予報では肝心の明日の朝は北岳山頂は晴れとなっています。
息つく間もない急登。下ってきた若い外国人の男性が目の前で転倒しスマホが破損。道中たくさんの外国人がいました。素晴らしい日本の自然を堪能してください。
稜線(小太郎尾根分岐)に着き、この先は楽な山歩きになるかな?と漠然とした希望がありましたが、山頂までまだ300m登らなければなりません。
ただ、これまでの陰気な登りから一転して、富士山や、仙丈ケ岳、甲斐駒などが一望できるので、景色を励みに歩を進めます。
肩の小屋から山頂までの登りは特にきつかったですが、第2位の頂上へ立ちたいとの思いだけでなんとか登り切りました。意地が悪い事にここでガスってきて視界はまったくありません。
ここから宿泊予定の北岳山荘は、距離にしてすぐそばですが、標高差300mの岩場の下りです。
山頂から見えていたのに、1時間ほどの岩場の下りを強いられます。
14時半到着。
夕食は17時半ですが、視界はないし何もすることがありません。ここに無料の飲料水の提供がありました。
携帯食のソーセージやスルメで1人酒でもするしかありません。
夕食を食べると眠くなりすぐ寝てしまいました。ハンバーグが美味しかったです。向かいに座った農鳥岳に向かう関西の若い女性と、ポーランド人のソロの男性と仲良くなりました。
残念ながら6人部屋の貸し切りとはいきませんで、他に2名の方でしたが、19時の消灯を待たなくても全員既にぐったりでした。
2日目
おはようございます。
頭痛で何度か目が覚めましたが、睡眠時間はしっかりとれました。
いよいよ、メインイベントの間ノ岳往復ですが、おかげさまで早朝から天気が良い事が判ります。
オキニの湯村温泉がある甲府市街がはっきり見えます。
山荘の朝食は5時ですが、帰りのバスの時間(広河原16時40分)では、私の足では間に合わない可能性も大きいので、早弁を頼んでおきました。
4時半、暗闇の中出発。
阿知ケ谷アルプスで練習したヘッデンを装着です。快調です。
朝陽が差し込みつつある幻想的な稜線をトボトボと40分ほど登ると、中白根山。
北岳と間ノ岳の間にある山で、有名じゃありませんが、それでも3055mです。
目指す間ノ岳もしっかりと確認できます。
ここからの稜線歩きは、人生でこれ以上の感動を得る事は難しいんのないかと感じるくらい素晴らしかったです。
鳳凰三山、甲斐駒、遠くは北アルプスの全景も確認できます。
朝陽が輝きだした5時過ぎに振り返ると。北岳の朝焼け。
この素晴らしさ、荘厳さ。
中白根山から 小ピークが2つあり、あれが間ノ岳だと勘違いしたり、5時にしっかり北岳山荘で朝食を食べた3人に追い抜かれるという鈍足ですが、そんなことどうでもいいです。
6時半に間ノ岳に着きました。
残念ながら、山頂だけガスに覆われ視界はありませんでしたが、稜線歩きで充分に満喫しましたので不満はありません。
ここで早弁と考えていましたが、視界が無い上に風があるので北岳山荘に戻ってから食べる事に。
戻る途中で、昨日の女性とポーランド人とすれ違う。お互いに記念撮影したり連絡先を交換。山小屋は空いているのが良いけれど、こういう出会いがあるのもまた楽しいです。
下山ルートは北岳に登り返さずトラバースする「八本歯のコル」経由です。
名前だけで怖そうだし、当初は北岳に登り返し~草すべりを下る事を想定していましたが、300mもの登り返しが強いられると判ったので、トラバースルートにコースに変更です。
北岳山荘からすぐトラバースできると思っていたのですが、稜線分岐までの登り返ししなければいけない。
もう登る事がないだろうと甘く考えていて弁当を食べていたので鉛のような体は前に進みませんが下るしかない。今回の山行で、この登りが一番つらく感じました
その後は、写真のような急な階段が連続する上、岩場の激下りでした。写真を撮る気もなくただ早く下りたいだけの時間でした。
広河原についたのは、終バス1時間半前。早弁しなければ、やばかったレベルでした。
北岳と間ノ岳、念願成就。
色々な方に支えられてきたおかげです。
10月4日(土) 駅南後援会つどいで、国保税、介護保険料の市政報告を行いました
午前中、高洲南小学校運動会にお招きいただきました。
午後は、駅南後援会主催の集いの中で議会報告を行いました。
前半は、「はだしのゲン」を特集したNHK番組の視聴。アメリカをはじめ世界17か国で「はだしのゲン」が翻訳されている事を初めて知りました。
あらすじは知っているつもりですが、実際読むとなると、あまりに可哀そうで切なくなるので読んではいないのですが、唯一の被爆国としてマンガで被害の実情を世界に知らせる取り組みは素晴らしいと思いました。
後半の市議会報告で、国保税と介護保険料について。両者が高すぎるのは国が財政負担をきちんと行っていないのが原因ですが、それを批判するだけでなく市町単位で何が出来るかを軸にした報告としました。
税率は市が決めますが、一方で、市が独自で減免を行う事もできます。収入が減った時には申請すれば保険税を安くします。藤枝市で言えば、国保税、介護保険料とも要綱をさだめて独自に減免できるとしています。
減免基準が生活保護基準+αくらいなので、生活保護を受ければ済む話かもしれません。しかし、生活保護に拒否感を持つ人も多くいる上、制度を知らないので申請すらしない人も多いでしょう。
また要綱には、適用基準が設けられていますが、その一つに「市長が特に認めるべきもの」があります。税金を払えなくなる理由は様々で、所得だけで判断できません。その人の実情をよく聞き、減免する必要があるかどうかを市の裁量で決定できるのです。
利用者の負担金の減免制度もあるのですが、問題は、これがほとんど活用されていない事。過去3年で実績ゼロが大多数です。
介護保険で言えば、手すり設置の補助は介護保険のサービス内容ですが、上限があり、静岡市では100万円上乗せしているとか、介護保険サービスにはないですが補聴器購入助成補助などは藤枝市を含め独自で行っているが、支給対象年齢は島田は40歳以上で藤枝は65歳以上とか(島田が40歳にしたのは、難聴の早期発見で重症化が防げるためと聞いています)
単に「保険税が高い」というだけでなく、市でも「これならできるじゃないか」という提案をする必要があるのではないかという話をさせて頂きました。
10月3日(金) 静かだった箱根最高峰の神山(1437m)と賑やかだった駒ヶ岳
10年ぶりに箱根最高峰の神山への登山が解禁になりましたので出かけてきました。
隣の駒ケ岳(1365m)は、ロープウエイも通じ賑わっているようです。
双耳峰のような両山。
登山口から登って分岐へ、一旦神山へ、その後分岐に戻り駒ケ岳へ、そして元に戻るルートです。
芦ノ湖畔の防が沢登山口6時半スタートです。
8月から頻繁に山に行っていたため、手元資金が不如意なので今回は節約を旨とします。焼津から沼津までの高速代2100円をケチり自宅3時発。
今日は高曇りで、絶好の天気ではありませんが、風もなく穏やかです。
周辺の金時や明神が岳に行った際は、新幹線で小田原まで行き、そこからバスで箱根へ。帰りは小田原駅前の万葉の湯に行き、また新幹線で帰るパターンでした。
万葉の湯は温泉以外にもマッサージなど有料アイテムが数多くあり、飲んでるうちに気が大きくなり散財するのがいつものパターン。
単純に交通費だけですと1万円位ですが、結果として2万5千円位使う事もありました。
今回も登山口近くまでバスが通じているので、万葉の湯が頭をかすめましたが、財布と相談した結果、下山後のビールを楽しめない日帰り車行に苦渋の決断。
箱根特有の、関東ローム層の茶土とハコネダケ(背が高いササ)に覆われた登りを1時間半ほどで分岐に、一旦左折して神山へ向かいます。
分岐から1時間ほどで山頂へ。
ほとんど眺望がありません。最高峰、という事だけで期待が大きかっただけ。
この先、大涌谷から姥子に抜ける登山道はまだ通行止めですが、それが通れるようになれば賑わうだろうと思います。
カップラを食べ、分岐に引き返し、駒ケ岳へ向かいます。
同じ山頂でもこちらはロープウエイ駅でもあり、これまでの森閑とした雰囲気から一変、多くの人で賑わっています。
景色が一気に開け、愛鷹や丹沢、相模湾、360度の展望が素晴らしい。
ロープウエイ駅で、ホット缶コーヒーでも飲もうかとしたら自販機は無い上、ホットサーバーで700円もする。泥靴の私を胡散臭そうに見る店員がいて、そそくさと退散。
ロープウエイの写真を撮ろうと移動すると、この場所が撮影ポイントだったので、早くどけ、と怒られました。
今日も、楽しい山行でした。
10月2日(木) 北口駅頭宣伝、9月議会最終日
4時起きで日曜版と日刊紙の配達後、7時から北口で駅頭宣伝。病院の赤字を特集した市議会報告を60枚用意していましたが、一人の党員の方が頑張ってくれて全て捌けました。
9時から議会、本会議最終日。常任委員会、改革委員会など断続的に続きました。
10月1日(水) 南口駅頭宣伝など
7時から南口で駅頭宣伝です。9月議会報告から、質疑で取り上げた市立病院の赤字の内容を訴えていると、聞いていた人から「良い事を言っている」とほめていただきました。
その後は議会運営委員会など、市役所で事務作業でした。