6月8日(日) 第63回、64回、阿知ケ谷アルプス
今日は午後、党の会議があり、午前中、いつもの阿知ケ谷アルプスへ出かけてきました。
来週は議会、運動不足になるのは必定です。
プールもいいのですが、足腰の運動のためにいつもの阿知ケ谷アルプスへ。
一往復+プールを考えていたのですが、着替えを取りに行くのが面倒くさくて、2往復しました。
さすがに疲れました。
来週、再来週は議会モードです。
6月6日(金) 南口駅頭宣伝など
金曜日定例の7時から南口で駅頭宣伝です。
その後、議会準備。党や後援会の会議など。
水泳2000m、今年43回目、総距離80000m。
6月5日(木) 駅頭宣伝で、ずっと聞いてくれた方から激励を頂きました
日刊紙配達後、7時から北口で定例駅頭宣伝です。
今日の訴えは、6月議会で取り上げる国保税についてでした。30分位ずっと聞いてくれる方が。終了後挨拶に行くと、今はまだ国保ではないけれど、将来国保になるかもしれず、これ以上の負担増は耐えきれない、との事で、来週の市議会の傍聴にもいくつもりですよ。との事でした。
15年もやっていてよかったと思える、嬉しい出来事でした。
その後は日曜版の配達、議会準備でした。
6月4日(水) 5年ぶりの長者が岳へ
今日は終日議会準備に費やそうと思っていたのですが、午前中の打ち合わせが一段落して何とも良い天気。これからまた忙しくなるし、山の空気を吸いたくなって朝霧の長者が岳へ出かけてきました。
長者が岳は5年前、私が山歩きを始めた最初の時期、8月に出かけました。田貫湖からスタートして長者が岳へ登り、その南の天子が岳を経て車道に下り田貫湖に戻る周回ルートでしたが、緩やかながら車道が登りでかなりの負担だったことが鮮明に記憶にあります。
長者が岳からの展望は抜群で、田貫湖と富士山の眺め、すそ野に広がる樹海、青のコントラストが見事でした。出発が遅い事もあり、今日は単純に長者が岳への往復です。
ところが、登り初めの田貫湖は晴れで富士が見えていたものの、どんどんガスってきて山頂はご覧の有様。まったく眺望がききませんでした。
何しに来たのか判らないような山行でしたが、5年前の自分を思い出しながら追憶にふける時間を過ごせたという点では楽しかった山行でした。
6月3日(火) 6月議会報告(その①)
国保滞納世帯の8割以上が所得300万以下なのは、「払いたくても払えない」のが現状
6月議会で、公約の一つでもある国保税の減免について取り上げます。
国保の加入者は、非正規雇用、75歳以下の年金生活者など、企業の健保などに入れない低所得者の方々が中心となっています。医療費を加入世帯で分担する保険の仕組みであるので保険税が高額になります。
戦前戦中は保険制度がなく、医者にかかれるのは金持ちだけ、それが国力の大きな衰退を招いた反省から戦後まもなく国保が導入されました。
その際、相互扶助、ではなく、社会保障、として位置づけて、加入者負担の不足分は国が半分補助するとしてスタートしました。お金の有無に関わらず、国民誰もが医療を受けられるようにする。それが国保の原点です。
ところが自公政権が国負担を従来の3分の2に減らしたうえ、安倍政権時に導入された広域化で、単独市だけでは如何ともしがたく、ただでさえ高い国保税がさらに値上げされる事態となりました。
藤枝市は、平成26年から値上げを行っていませんが、市の試算では、年間所得300万の4人家族でも、年間国保税負担が 万円。74歳以下の高齢者2人世帯で、年金収入200万でも、保険税負担が 万円。年収の1割以上が国保税負担で消えます。更なる引き上げなどありえません。
添付図は、令和5年度の藤枝市国保税滞納を所得段階別に資料請求で得た情報をもとに私が編集したものです。
市全体で滞納世帯は976(上記表中、849⁺127)のうち86%が所得300万以下が占めています。
税滞納を続けると、保険証の没収と言うペナルティがあります。没収された市民に対して半年の期限付き保険証(短期保険証)や、一旦窓口で10割支払って保険税を支払った後に還付を受ける(資格証)の発行枚数は1年間で264世帯、そのうち所得300万以下は262世帯で92%となります。
払いたくても払えない、これが現状ではないでしょうか。
市は来年度さらに保険税を財政的な理由だけで値上げを行うつもりなのでしょうか。
水泳1500m、今年42回目、総距離78000m。
6月2日(月) 全国市議会議長会から15年勤続の表彰を頂きました。
早朝日刊紙配達後、今日は6月議会の開会日です。
冒頭、全国市議会議長会から勤続15年の表彰を頂きました。
以下、お礼のあいさつです。
今日は私のためにこのような場を設けていただき皆様に深く感謝申し上げます。
私が政治家を志したきっかけは、学生時代にたまたま手にした朝日新聞の記者、本多勝一氏のルポルタージュ「中国の旅」であります。タイトルから単なる紀行文かと読み始めましたが、実際の内容は、旧日本軍が日中戦争時に各地で引き起こした残虐行為のルポルタージュでした。戦争と言えば広島長崎しか知識のなかった私にとって、そのあまりの残酷さに大変ショックを受け、当時から唯一戦争に反対していたのが日本共産党である事を知り、いつかは党の仕事をしてみたいと思うようになったのが原点です。
爾来、4度の選挙を経て15年という節目の年を迎えることが出来ましたが、よくぞ私のような人間が15年も勤まったというのが率直な思いです。
市民の思いを市に届け、議会に提案された議案を市民を代表して審査し賛否を判断する。多くの市民の付託を受けた議員の役割という事を肝に銘じながらやってきましたが、能力努力とも不足している身でありますから、期待に応える事が出来なかった事も多々あります。
そんな私を支えてくださったのは、初当選以来欠かさず行っている毎週の駅頭宣伝時に激励、後援会の皆さんの活動など市民の方々でありました。
また、質問に対し、真摯に検討をし、判らない事があれば親切に教示いただき、多忙な中、持ち込んだ市民の要望にも対応してくださった北村市長はじめ執行部の皆さまのお陰です。
時には論戦を交わしながら、合議体として政策立案を行い、よきライバルとしてよき仲間として、共に歩んできた大石信生前議員をはじめとした先輩議員、この議場におられる私以外20名の同僚議員のお陰でもあります。
そして、お互い感謝の言葉はほとんど交わしませんが、家族のお陰でもありました。
今後、市民のお許しがあれば、今後20年、25年を目指していきたいものですが、それは市民の皆様の判断になります。
数えてみますと今議会が61度目の議会。これまで60回の一般質問を行ってきました。課題も残っていますが、いくつかの公約の実現も果たしました。残されたわずかな任期ですが、最後まで一議員として責務を全うするべく頑張っていく決意です。
今日は、お祝いを頂きまして、ありがとうございました。
常任委員会、先議の補正予算の審査、採決。その他、協議会など議会打ち合わせでした。
6月1日(日) 水防訓練
今日は水防訓練でした。
水泳2000m、今年41回目、総距離76500m。